例の塩谷瞬の騒動でふと気になったのが「二股」という言葉。アルファベットの「Y」を上下逆にした形を思い浮かべると分かるが、「股」に相当する部分は1つしかない。なのになぜ「二」股と言うのだろうか?

そんな話を飲みの席で振ってみたところ、飲み仲間のひとりが「相手の女性が2人いるから股は2つだろ」と言った。いやいや、待て待て。二股受験とか二股膏薬のように、女性どころか人間ですらないものにも二股という表現を使うじゃないか。

思うに「股」の字はいわゆる置き換えで、本来は「又」と書くのが正しいのではないだろうか。そう思って調べてみたのだが、国語辞典の「また」の該当する項には「股・叉・胯」の3つが同時に書かれている。いや、よく見たら「又」じゃなくて「叉」だな。さらによく見ると、「又」のほうは「再び」とか「重ねて」を表わす「また」のほうだ。またまた(←あざとい)気づいたのだが、「叉」は三叉路の「叉」だ。ん、三叉路は3方向に道が分かれているけど、こちらは股に相当する部分が3つあるな。いや、少し鋭角気味になってきたから股っぽく思えるだけか。

話が脱線したが、以下の引用を見てほしい(大辞林より)。

【股・叉・胯】また ①胴から足の分かれる所。両足のつけ根の部分。またぐら。「━を広げて座る」 ②一つのもとから二つ以上のものが分かれている所。また,そのような形。「二(ふた)━」「木の━」

ポイントは②のほう。つまり、またぐらを意味する両足の付け根の部分とは別に、分かれている場所そのものも「また」と呼ぶのだ。本来進むべき道があって、それがどこかで複数に分岐している。分岐している箇所を「股」と呼び、分岐の数がその接頭に付いているのだ、と。恋愛というものは本来、ひとりの異性に向けられる一本道のようなものであるが、それが他の異性へも枝分かれしていて相手の数が2人になった状態。これを二股恋愛と呼んでるわけですね。

そう考えると、ヤマタノオロチ(八岐大蛇)も同じか。胴から頭へと続く道が、1つではなく8つに分岐している。首には「またぐら」はないから、ナナマタノオロチとはならないのである。