最近、奥様が懐かしのドラマ「大草原の小さな家」のDVDを一気買いし、暇さえあれば鑑賞している。僕も仕事しながらたまにチラ見しているのだが、中にちょっと興味をひかれたエピソードがあった。第3シーズンの「勇気ある対決(The Bully Boys)」だ。

町にギャレンダー兄弟がやってくる。彼らは住人に悪さをし、息子のババも学校でやりたい放題。皆は牧師に相談するが、ただ「暴力は暴力を生むだけ」と言うばかり。そんなある日、メアリー(インガルス家の長女)の怒りが爆発し、ババに強烈なパンチを浴びせる。それを見たクラスの女の子たちも堰を切ったように加勢。ババはこてんぱんにされてしまう。さらには牧師も考えを改め、率先してギャレンダー兄弟の即時立ち退きを命じるのだった……。

牧師は日頃から「片方の頬を殴られたらもう片方を差し出せ」と説いている。それがこの回の最後では、すさまじい形相でならず者たちに引導を渡した。ガンジーがガンジーでなくなったとでも言おうか、牧師自身が暴力を認めた……いや、正確に言えば、暴力の正当性(正当な暴力の存在)を認めた瞬間である。

この町には保安官らしき人はいない。全エピソードを確認したわけではないが、町では住民たちの善意によって平穏が保たれている。そこに外部から脅威がやってきた。あらゆる対立は非暴力的な手段によって理性的に解決されるべきというのが平和主義の大前提だが、大抵の場合、その前提は絵に描いた餅となる。暴力に対抗できるのは同等の暴力だけだからだ。そして、ある主体が国家であるために必須の条件は、正当な暴力の独占を保持することである。

「正当な暴力の独占」とは、マックス・ヴェーバーが自著「職業としての政治」において唱えた主権国家の定義である。ヴェーバーは「国家とは、いかなる形態・方法であれ、暴力を使用することについての正統性の根拠である」と述べた。そして、国家による正当性を伴った暴力を「暴力装置」と位置づけている。この「暴力装置」という表現は、政治学や法学においても国家の物理的強制機能を指す用語として広く使用されている……と、偉そうにぶってはいるけど、このあたりはWikipediaの受け売りなんですけどね。

誤解を恐れず言うなら、我が国における自衛隊も「暴力装置」である。そうではないと言うなら、陸海空すべての自衛隊は武力的な装備を一切持てなくなる。護衛艦(駆逐艦にあらず)にだって砲熕兵器やミサイルや水雷などがしっかり搭載されているんですよ。

ただね、僕がこのblogで言うぶんにはそんなに問題じゃないんですよ。ヴェーバーの定義を知らない人やその言葉の響きだけで嫌悪を覚える人たちには前述したような解説をすればいいし、それでもまだ目くじらを立てるようなら無視すれば済む話だ。しかしながら、仙石氏は内閣官房長官という要職にある人物。その職務には政府報道官、つまりスポークスマンとしての役割も含まれている。彼の発言は、まんま内閣の公式見解なのだから。

で、ニュースサイトを調べていたら、YOMIURI ONLINEにこんな記事があった。

暴力装置発言は「軽率、バカ…」石原知事

仙谷官房長官が自衛隊を「暴力装置」と表現したことを巡り、19日も批判と釈明の応酬が続いた。東京都の石原慎太郎知事は記者会見で「軽率というか、バカというか、甚だ好ましくない」と非難した。前原外相は記者会見で「昔、共産党系の本も読んでいたのでしょう。その中に暴力装置のような言葉があったやに、本人から聞いた。それが間違って出たものだ」と擁護した。これに対し、仙谷氏は記者会見で「我々が慣れ親しんだ時代と、言葉の持つイメージが違うことに思いを致すべきだったと反省している」と、語感の変化を盾に「悪意」を否定。また、自民党の石破政調会長の過去の発言を取り上げ、「石破先生も『警察と軍隊という暴力装置を合法的に所有するというのが国家の定義』と言っている」と“反撃”も忘れなかった。