幼い頃、何気なく大人たちの会話から耳にした「みをむすぶ」という言葉を、勝手に「身を結ぶ」だと思っていた。本当は「実を結ぶ」だということも、ずいぶん経ってから知ったんじゃないかな。とはいえ、今も「結ぶ」対象が「実」という事実に対して、どうにも釈然としない自分がいる。

思うに「実」は「なる」ものだからだろう。しかしながら「結実」という言葉もあるように、植物が最終的に「実」というものを生成する状態を、世間一般では「結ぶ」と表現するようだ。ちなみに「結ぶ」対象として「実」よりも「身」のほうがしっくり来ている理由はひとえに、縁結びとか結婚とかのイメージが強いからだと自己分析している。

それを踏まえて、だ。今日知った英語の熟語に「bear fruit」というのがある。この場合のbearは熊ではなく「産む」などを意味する他動詞。同熟語を直訳すれば「(果実の)実がなる」という意味になる。そして、これがそのまま「努力が実を結ぶ」という意味も含んでいるのが興味深い。日本語も英語も、人間様の努力の結果の福音を、植物の結実になぞらえているわけである。