昨日は旧暦の8月15日にあたり、いわゆる「中秋の名月」であった。旧暦では1月から春が始まり、四季が3ヶ月づつ区切られる。なので7・8・9月が秋となり、その秋の真ん中が8月15日。つまりこれが中秋というわけである。

中秋が満月になるのは偶然でもなんでもない。月の満ち欠けに基づいて定められた暦のことを太陰暦といい、日本における旧暦(明治5年まで主に使われていた暦法)も太陰暦に近いものだからだ。旧暦は基本的に新月(朔)を含む日を月初に、そこから次の新月までの30日間を1ヶ月と定めている。新月とは地球から見て月と太陽が同じ方向になること(あるいはその時刻)で、月の姿はほとんど見えない。そこから徐々に太陽の光の影響で月が満ちていき、月齢15で満月となり、そこから欠けていって月齢30でまた新月となる。十五夜とはつまり、月齢15の満月の夜のことを指す。

月齢は30をひとつの区切りとしているが、月の公転周期はぴったり30日ではなく27.32日という中途半端な数字だったりする。そして自転周期もこれと同じなので、月はいつも同じ面だけを地球に見せている(正確には自転軸が若干ずれているので月の59%が地球から観測可能)。ちなみに、月が地球の周りを27.32日かけて一周している間に地球も太陽の周りを1年(約365.2422日)かけて移動しているので、地球から見た月の周期は約29.5日となる(説明すると長くなるからここはそういうものだと思ってご理解いただきたい)。もしも月に家を建てて暮らしたとしたら、昼と夜が約14.75日ずつ訪れることになり、人間の睡眠のリズムとはまったくシンクロしないが、それはむしろ大した問題ではなく、その極端に長い日照時間によって月の昼の気温は100℃以上となり、夜は逆にマイナス100℃よりも低くなる。

あ、いや、こういうマニアックな事柄を書きたかったわけじゃないんだな。

えっと、無理やり軌道修正すると、日本(というか北半球の特定の地域)における十五夜は、日没とほぼ同時に月が出始める。また、月の出は毎日約50分ずつ遅れていくので、翌日以降は日が沈んで少し経ってから月が出る。十六夜月と書いて「いざよいづき」と読むが、これは月がいざよう(=ためらう)という意味である。日が暮れてもしばらく月が出ないのを「あれ、ためらってるのかな?」と表現したわけだ。同様に旧暦17日以降の月は「立待月」「居待月」「寝待月」「更待月」と続く。昔の人はこんな気持ちでお月様を待っていたんですね。

こういう日本語の表現って、なんかいいなぁと思うわけですよ。