そういえば僕は今年、50歳になる。子供の頃に想像した50歳の自分はどんなだったかなと、新年っぽく回想してみたりしたのだが、なにせ21世紀すらものすげー未来だと思ってたぐらいなので、この先は余計に「結構なレベルの未知な領域」に差しかかるわけである。

40歳を超えたあたりからなんとなく思い始めていたのは、とにかく「老害にだけはなりたくない」という、近未来の自分に対する切なる願いであった。若い頃の自分が飲みの席などで感じていた「あーこのオヤジ、うぜぇから適当に相槌打っとくか」系の、その相手にだけはなりたくない、と。

でもね、実際に50歳を目前にして改めて思うんだけど、そういうのっておそらく、本人が若い頃にやらかしちゃったことへの戒めの裏返しというか、「おまえら、自分と同じ轍を踏むんじゃないぞ」っていうシンプルなアドバイスが、照れとかも相まって説教臭くなっちゃうだけじゃないかな、と。それを聞かされる若者たちのほうも、その「いつかは辿る道」のことなんてまったく想像できないからゆえ、戸惑いを含めて拒絶してしまうんじゃないかな、と。

だからね、うざがられたくないとか、嫌われたくないという守りのポジションだけで、そういった「価値ある老婆心」を自粛しちゃうのもいかがなものかなとも思い始めてるんですよ。時には「うるさがた」に回ることも辞さない姿勢こそが、世のため人のために必要なんじゃないかな、とも思えたり……。

おそらく僕の中では相当な意識改革だと思うんだけど、なんで突然そんな考えに至ったのかなと理由を考えてみた。なんのことはない。最近、テレビやラジオから頻繁に流れる「よー、そこの若いの」を歌う竹原ピストルが、僕より8歳も下だと知ったからだったり……。

2018年の僕の初心は、まぁこんな感じです、はい。